『生きる哲学』若松英輔著 感想 序章で満足してしまって
『生きる哲学』若松英輔著 感想
ノンフィクションを読んでいるとたまに、
序章やまえがきを読んだだけで「十分元は取れた!」
と思える本がある。
この、若松英輔さんの『生きる哲学』もそう。
<序章 生きる 言葉と出会うということ>
を読んだ時点で「この本に出会えてよかったな~」
としみじみ感じました。
そうなると、その先に今以上に自分にしっくるくることが
書いてあるかどうかという期待と不安が入り混じりなかなか先に進めなくなる。
で、どこがそんなに響いたのかというと下記の部分です。
分かるということは変わるということだ。ある出来事にふれ、真に分かったとき人は、どこかで変貌しているのである。~略~変わっていないのであれば、じつはわかってはいないことが露呈してしまう。哲学者の池田晶子は、分かることと変わることにふれ次のように書いている。
とあり、この後に若松英輔さんは池田晶子著『14歳からの哲学』から引用します。
読む人によっては「な~んだそんなことか」となる内容かもしれません。
私も同じ内容のことを他の書籍でも何度も読んだと思います。
陽明学の知行合一という言葉も知っています。
でも、今回この『生きる哲学』を読んでこの
「分かるということは変わるということだ」
という言葉が刺さりました。
おそらく、本を読んでも読んでも忘れていき何も変わらない自分に不満を抱いていたからだと思います。
出会ったタイミングがよかった。
著者の若松英輔さんは、NHKで放送された
『シリーズ「問われる宗教と“カルト”」』にも出演されていました。
そこで氏がカトリック信徒であることを知りました。
とてもまじめなカトリック信徒である印象を受けました。
この人の言うことなら信用してもいいのではと思わせる雰囲気をまとっていました。
ただ、カトリック信徒のせいかちょっと宗教に対して厳しすぎるようにも感じましたが。