『考察する若者たち』三宅香帆 の感想 考察なんて昔からしてた!

三宅香帆 著『考察する若者たち』を読んでいいろいろ考えた。
批評でも考察でもない。
感想なのでこれを読んでも何も報われないヨ。
『考察する若者たち』三宅香帆 の感想
考察は今に始まったことではない。
考察という言葉を知らない子供の頃からアニメや漫画を見てみんな考察していた。
この『考察する若者たち』を読むまで「批評」と「考察」「感想」の違いなんて考えたこともなかったし。
で、今更言うほどのことではないけど、考察がブームになっているように見えるのは2つの原因があると思う。
① SNSで誰でもが簡単に発表できるようになった(スマホの普及)
② アフィリエイトの普及
① SNSで誰でもが簡単に発表できるようになった
SNS(スマホ)がない頃は友達同士で直接考察らしきものを話していた。
それが、SNS(スマホ)の普及によってより多くの人と交流ができるようになり
自分の考察と他の人の考察を比べることができるようになった。
考えるのが面倒な人は検索して知ることができるようになった。
② アフィリエイトの普及
アフィリエイト。
ネット上に広告を貼って収入を得られる仕組み。
(このブログもアフィリエイトを利用している。)
アフィリエイトで収益を上げるには、
広告のクリック数(動画なら再生数)を増やすか購入率を上げるか。
アフィリエイトではアニメや動画、映画、ドラマなどの感想、あらすじブログが流行った時期がある。
今はどうなんだろう?
そこには考察とも感想ともとれるようなことが書かれていた。
私も実際にドラマやアニメのタイトル+感想というようなブログをいくつも作ったことがある。
ブログの場合は検索が必要なのでその結果で上位に表示されているブログの内容が大抵パクられる。
そして文章をリライトして投稿する。
そのブログへの動線としてTwitter(エックス)やYouTubeが利用されていたり、動画そのものが収益化されたり。
もちろん動画の内容やキーワードもパクられる。
そして同じような内容のブログ、動画、ツイートが量産されてさもみんながそう考えているような状況が作られる。
「報われ消費」の報われるって何?
「意味ある時間」を求める若い世代の消費行動を、本書では「報われ消費」と呼ぶことにします。 p.8
とあるように、この後も何度も「報われる」という言葉が出てきます。
一体全体、「報われる」ってどういうこと?
美術館に行ってきれいなガラス工芸品を見て感動してただけでは報われなくて写真を撮ると報われるってぜんぜん理解不能。
どうせそんな写真見返すことはほとんどない。(個人の経験です)
『考察する若者たち』で取り上げられているドラマ『あなたの番です』を見ていないからよけいに理解できないのかもしれない。
でも、事件の真犯人を探すなんてミステリーでは誰でもしてるのでは?
上記の①のSNS(スマホ)の普及に伴う考察の広がりという下地があっての地上波への波及という気がする。
いずれにしても、犯人や展開が当たったのが報酬ってのはあまりにも安っぽすぎる。
まぁ、ドラマが流行れば学校や職場でも見ている人が増えて考察し合うこともできて盛り上がるとは思うけど。
正解かどうかわからない個人の解釈を知っても、面白くない。作者が潜ませた。”正解”を知ることの方が面白い 。p.39
そもそも、世間に出ている考察は正解なん?
誰かが勝手に考えただけじゃないの?
『ONEPIECE』の著者の尾田栄一郎さんがいちいち正解を発表するわけでもないし。
自分と同じ考えの人を見つけて安心もしくは納得するか世間の考察を正解と思い込んでいるか。
報われる努力と転生モノ
転生物の流行について下記のように書かれている。
いま物語に求められているのは、「頑張ったら報われる」という努力できる場所を求める希望そのものだろう。
努力したくないのではなく、報われる努力をしたい。その気持ちが、現実は努力できる場所であることを教えてくれる「転生」ものを若者に手に取らせているのかもしれない。
それは反転して、報われる努力をできる場所に社会がなっていない、ということの証である。
努力が報われない社会だからこそ、「転生」は流行する。p.85
報われる努力がしたいという気持ちはわからないでもないけど、
努力って主観的なものなので何を基準に「報われる努力」をしたと判断するんでしょ?
AさんとBさんの「私は精一杯努力しました。」は同じ報いを受けられるものなのか?
書籍の後の方で努力が報われるのは運にもよるという記述もある。
運!
これでは努力したら報われる社会はいつまでもやってこない。
そもそも、報われるまでのスパンが短すぎるという見方もできる。
何かの本で読んだ記憶がかすかにあるけど、90何歳の人が英会話かなにかの勉強を初めたときに
「今から始めても間に合わないのでは」というような質問に「今度も生まれたときのためにやってます」とこたえたとか。
フィクションの転生モノではなく、リアル転生で考えれば来世や死後の世界で報われるってこともある。
あぁ、何となくダラダラと書いてしまったが、まだまだ「推し」とか「最適化」とか書きたいことがあったような気もするけど。
忘れてしまった。
最後に。
会社の部下や後輩、あるいは子どもに聞かれたときのため、「報われ最適化から抜け出すためのコツ」を書いてみましょう。
とあったのを読んで確かに!と思ったこと。
大きな書店の新書の棚(新刊書籍ではない)を、(個人的には中公新書か講談社現代新書が好き)端から順番に見ていく。
日頃は意識していないけど関心のあるタイトルに目が止まるハズ。
私は今日実際に中公新書の棚でやってみて気になったタイトルを何冊か見つけたが何故か全部同じ著者だった。
三宅さんは「あとがき」であたたかい言葉をかけてくれます。
何度だって繰り返しますが、考察文化やプラットフォームを否定したいわけではないです。そうではなく、批評「も」面白いよ! 最適化されない、報われない、だけど面白いことって世の中にあるよ! と伝えたかったのでした。 伝わるといいな。
はい、伝わりました。
でも、私には批評は難しくて読んでも面白くないのです。
まるで哲学書を読んでいるのと同じような徒労感がある。
そう思うと誰でもできる考察は気楽に楽しめてよいなぁと思ったのと同時にある言葉が稲妻の如く頭をよぎりました。
一億総白痴化
調べてみるとまさしく評論家の大宅壮一が生み出した流行語だそうでテレビが普及し始めた頃にテレビの弊害を看破した言葉だそう。
それが1957年のこと。
2026年の今、SNSの普及によって再度、一億総白痴化の時代が来ている気がします。
バスや電車に乗るやいなやスマホ見ている人。
一日平均6時間もスマホ見ているという学生たち。
そりゃ努力が報われないのは当然だと思ってしまうのです。
いろいろ刺激されて面白い本でした。
三宅香帆さんありがとうございました。
⇒『考察する若者たち』





