『虚ろな十字架』(東野圭吾)のタイトルの意味は
『虚ろな十字架』とは?
東野圭吾の本作品のタイトルである、
『虚ろな十字架』という言葉は2回出てくる。
(光文社文庫 初版 p.174,p338)
同一人物(浜岡小夜子)の言葉だけど意味が微妙に違う。
1つめの《虚ろな十字架》
一体どこの誰に、
「この殺人犯は刑務所に○○年入れておけば真人間になる」
と断言できるだろう。
殺人者をそんな虚ろな十字架に縛り付けることに、
どんな意味があるというのか。 p.174
犯罪者が更生するための年数を決める計算式などない。
でも、法律上は何らかの基準を決める必要がある。
誰がどのように決めたのかまでは調べていない。
警視庁の『平成22年版 犯罪白書』によると、
満期釈放者の再犯率は下記の通り
・殺人43%
・傷害致死60%
・強盗56%
・強姦56%
・放火34%
仮釈放中の再犯率は半数以下になる。
これだけ高い再犯率だと、
実刑判決が出て服役したとしても更生するのは厳しい。
そういう意味では懲役刑は【虚ろな十字架】であり、
作中の浜岡小夜子は死刑を望むのは理解できる。
2つめの《虚ろな十字架》
人を殺めた人間の自戒など、
所詮は虚ろな十字架でしかないのに。
だけどたとえそれがそんな半端な十字架でも、
せめて牢屋の中で背負ってもらわなければなりません。 p.338
2つ目の【虚ろな十字架】は1つ目とニュアンスが違います。
仁科史也の自戒とは何だったのでしょうか?
・仁科史也が、妻の花恵と出会ったときに、
妊娠していることを知っていながら結婚し子供を育てたこと。
・小児科医となって子供の命を救ってきたこと。
史也の妻の花恵はいう。
主人は、自分の罪深さをわかっていると思います。
あの人がどれだけ誠実に生きているか、あたしが一番よく知っています。
花恵の言葉に対して小夜子は手厳しい。
誠実に生きるなんて、
そんなのは人間として当たり前のことです。誇るようなことではありません。
現代に生きている人で、
「私は誠実に生きています!」
と胸を張っていえる人がどれだけいるでしょうか?
残念ながら私はいえません。
こんな、厳しい見方をしている小夜子にとっては、医者になり誠実に生きている史也の生き方ですら
虚ろな十字架にしかすぎないということ。
ここまで書いてきて、この作品のタイトルの意味は、1つ目の虚ろな十字架の方かなと思いました。
死刑制度に対する私見
私はやはり犯罪の抑止力という意味でも、
遺族の怒りをおさめるためにも死刑制度は必要だと思います。
しかし、加害者にすれば死刑になるのと、無期懲役とでは
どちらが苦しいのかというとわかりません。
刑事ドラマでは「生きて罪を償うんだ」というセリフを耳にしますが、
生きているだけで償いになるのか?
最初にあげた統計による再犯率の高さからいえばやはり
死刑の方が効果的ではないかとも思います。
冤罪の可能性が少しでもあれば、
徹底的に調べる必要はありますが、そうでない場合は
速やかに死刑の執行を望みます。
死刑囚を生かすために国民の税金が使われているのは納得いきません。
法務大臣が死刑を執行する度にマスコミに発表するのも不要だと思っています。
法に則り粛々と執行すべです。